社会思想史(ヴェーバーと資本主義)
近代の始まり
- 近代は次の3つの革命を端緒とする
- 市民革命
- 産業革命
- 社会革命
- 身分制度の解体
- 画一化……「大衆」の誕生
- 科学技術革命
学問論
- 古代から人は真理の追究を続けてきた
- ヴェーバーの著作「職業としての学問」
- 現代にも通じる学問論の古典といえる
知的な禁欲
- 学問には限界がある
- 欲張って先走ったことを言わない
- 礼賛の中の批判
- AがBより優れているとしても、Aに問題がないわけではない
- これらの態度は研究に臨む上での基本的な態度としてもつべきものである
ヴェーバーという人物
- 人文社会科学における共通の古典人物と言って良い
- 歴史学、哲学、経済学、政治学、社会学、法学などに強い影響
- 哲学においては新カント派を信奉
- 歴史学、哲学、経済学、政治学、社会学、法学などに強い影響
近代化とはなんなのか
- 高度かつ専門的な分業化の進展
- e.g. 専制政治から民主主義への移行
- ヴェーバーはちょうどこの移行期に生きた
- 新しい時代への変化の目撃者→あらゆる分野に対して思索を巡らせる必要性に迫られた
プロ倫をめぐって
- 「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」
- 宗教と資本主義の結びつきを指摘した
- 資本主義化は近代以降社会における経済の重要性を増大させた
- 近代化はプロテスタンティズムによるものである
- 当初近代化はプロテスタントがマジョリティな地域だけだった
- 一体何が違うのか
- 一方で近代化の負の側面を見つめ直す
- 近代化への悲観という側面
- 当初近代化はプロテスタントがマジョリティな地域だけだった
ヴェーバーの生きた時代
- 第2帝国からヴァイマル共和国へ
- ドイツは長らく後進国であった 蛮族の地
- 神聖ローマ帝国(第一帝国)
- 西方…小土地所有(独立自営型) 法的権力の増大 世俗的 現世的 即物的
- 東方…大土地所有(階層構造化) 人的権威の増大
- オーストリア vs プロイセン(第二帝国) ビスマルクは近代化を推進
- ビスマルクの課題
- 古い慣習を絶つ
- 都市問題 犯罪/貧困への対策
- 進行する大衆化
- 国外ではパワーバランスを重視
- ヴェーバーの政治スタンス……ビスマルクに共感
- イギリスへの憧れ、ドイツへの嫌悪
- 戦争は自明
- ウェーバーはリベラルを理解したが、ビスマルクは文化的に保守であった
- ヴァイマル共和国は不安定だった
- 先行き不透明な国を何とかしてくれるのではないかというヴェーバーに対しての期待
- 現実主義
- 力を容赦せず使う
- 先行き不透明な国を何とかしてくれるのではないかというヴェーバーに対しての期待
ヴェーバーの家族構成
- 父:実業界、政界の有力者 近代化推進勢力
- 母:伝統的キリスト教徒
- ヴェーバーの思想の源流は家族構成にも見える
チャップリン モダンタイムス
- 作品の最初に登場する時計→作品全体に流れる大きなテーマを暗示している
- 「人間の機械化に反対して, 人間の幸福を求める映画」
- 労働者は羊のように扱われている
- 労働者階級と資本階級
- スピードをあげろ
- 機械のリズムに合わせて労働しなければならない
- 自動飲食マシン
- 条件反射的に動作を行う存在
時間の管理
- 絶えず切り詰めないといけない, スピードアップ
機械化
- 機械のリズムに人間が翻弄されている
- 自動運動している世界
- 際限がない→目的を失っている
階級社会
- 組織の世界
資本主義について
- 古代資本主義から近代資本主義に移り変わったというわけではない
- 資本主義は近代に特有のシステム
時間軸的考察
- かつて古代ローマ=黄金時代という流れがあったが, 資本主義ほどは拡散していかなかった
- その後(誤解を恐れず言うと)中世という停滞期があった.
- 近代に「資本主義」という全く新しいものがヨーロッパの片田舎に過ぎないイギリスで誕生し世界に拡散した.
空間軸的考察
- 都市を基盤として発展していく
- 都市で発生した資本主義は農村へと拡大していった
- ヨーロッパを基準としてみれば, イギリスを中心として資本主義はヨーロッパ全体に広がった
- それはさらにヨーロッパをはみ出して, アメリカ, 日本まで広がっていった.
資本主義の条件
- 資本主義と貨幣経済はイコールではない
- 巨大かつ一般化した市場
- 労働力を売って生活する労働者の大量発生と一般化→伝統的農村の衰退
- 原始的蓄積過程
- 土地の囲い込み運動(encloser)
教科書の著者 大塚とは
- 戦後啓蒙派のひとり
- クリスチャン
- 比較文明論
- 大塚学派の形成
ロビンソン的人間をめぐって
- 学校
- 新任教師 - 新システムを試す
- 発想、行動様式の違いから軋轢が生まれる
- 町工場→特殊な行動様式
- 外国人労働者の不適応
- 市場経済
- システムとそれを動かす人間
- 禁断資本主義システムを動かしているのは、ロビンソン的人間類型だ
マルクスとはどんな人間なのか
- 資本主義のメカニズムを分析
- 古典派経済学を批判
- 古典派経済学は人間はロビンソン的であるという前提を持つ
- システムが人間の行動様式を創り上げているという主張→資本主義が日本をロビンソン的にしている
- 本来は多様なはず→これを問題の俎上に上げたのがウェーバーである
- 古典派経済学を批判
ロビンソン物語
- エンクロージャーの時代
- 資本主義へジャンプするために非資本主義の時代に最初の蓄積が起こったはずだ→原始的蓄積
- 原始的蓄積はエンクロージャーによって蓄積された
- 所有権が曖昧で折り重なっている時代→ある人が所有権を主張して土地を囲い込む
- 富の集中の過程とも言える
- もとからいた農夫は追い出されていく
- その農夫を安く雇い入れる……土地にへばりついていた人を労働者として雇い入れる
- 工場で働かざるをえない人間を作り出し、工場に労働者として雇い入れた
- 2重に自由な労働者……労働する自由と死ぬ自由
- 16世紀〜17世紀……第1次エンクロージャー(民間主導)
- 18世紀〜19世紀……第2次エンクロージャー(国家主導)
- 時代にフィットしていたので広く読まれることとなった
- 時代を象徴している→古代や中世にはロビンソン的人間は少なかった
- エンクロージャーの時代にロビンソン的な人間が一定の層をなすようになった
ロビンソンの行動様式
- 消費……差し控える・残りを数える→再生産
- 長く無人島で生活するためには、残りをコントロールしながら再生産を続けないといけない
- 再生産は拡大再生産でないといけない
- 工業は分業を基本としているが、全体を理解し自分の作業の重みを理解することが作業の効率に寄与する
- 経営者の考え方に近づく
- 資本主義がうまく回るためには経営者の視点と労働者の視点を二重に持っている人間が必要→ロビンソン的な人間
ベンジャミン・フランクリンの例
- プロテスタント信仰を持つ
- 時は金なり
- 非合理的宗教的信念→ロビンソン的行動様式→合理的経済システム
マルクスの主張
- 古典派経済学を批判
- 人間はすべからくロビンソン的であるという前提を批判
- 資本主義の起源・メカニズムを分析
- 資本は増殖する運動体である
- e.g. グローバリゼーション(世界規模に拡大していく資本)
- マルクスは資本増殖をどこかに限界がありいつかは終焉すると考えた→資本主義は自滅し共産主義への移行
- ロビンソン的人間の登場は時代制約性、社会状況制約性を持っている→資本主義の中でこそ大量に必要とされる
- アジア的生産様式
- ヨーロッパ的=ロビンソン的な人間は積極的に周囲に働きかける
- 社会の変化が大きい
- 一方でアジアは受身的で変化に乏しい
プロ倫の世界
カソリックとプロテスタント
- カソリックは教会活動を重視
- プロテスタントは信仰の強さを重視
- カソリックは中世以降形骸化
- プロテスタントは原点回帰を重視、宗教性寛容
- プロテスタントが近代的で世俗的な資本主義へ結びついたという考えは逆説的でもある
日本の戦国時代
- 南蛮人
- 宗教による植民地支配を画策
- 赤毛人……オランダ人
- 宗教、通商を重視
=== デュルケームの自殺論 ==
- プロテスタントの信仰者は内面化する傾向があるので、孤立化しやすい→自殺率が高い
プロ倫の冒頭
- カトリック信者は一般に仕事が終わったあと道具を片付けることをしない→物事に対して安心しきっている、だらけている
- プロテスタント信者は仕事が終わったあと道具を片付ける→ある種の不安、緊張→勤勉さの原動力→プラスアルファの労働
- イメージを提示しつつ、そのイメージを統計的事実から裏付けようとする
大塚本を読む上での留意点
- 前半部は、ヴェーバーが巻き込まれた論争へのひとつのレスポンス
- 資本主義およびその成立過程をすべて論じているものではない
- 問題史
- 歴史的事象の特定の側面を取り上げて、その歴史的変化を追究するもの
- プロテスタントが資本主義の源泉となったという仮説に対して論理的な裏付けをしたい
- 本来上のような主張はどこまで行っても仮説に過ぎない……
プロ倫の2つの中心
- 資本主義は如何に成立していったのか←歴史的関心のある人はこちらに注目する
- 資本主義のある種の行く末を暗示(予言めいた意見)←現代社会論に関心のある人はこちらに注目する
- 論文としては不恰好ではあるが、こうした2つの側面を持つという点に面白さを感じる人もいるだろう
マルクスとヴェーバーの考察姿勢の違い
- マルクスは経済を中心に考察を加えた
- ヴェーバーは人間の考え方、信念を中心に据えて考察をした
フッガーとフランクリンの対比
- フッガー……16世紀の大商人
- フランクリン……18世紀の人間
- ロビンソン的
- 原始キリスト教→中世のカソリック→宗教改革以来のルター派⇔カルバン派
- カルバン派のみが資本主義の源泉となった
- フッガーは一見資本主義の元祖に見える
- →フッガーは冒険商人であるが、営利を得ることに対してやましい感情があった
- 伝統的キリスト教価値観によれば、お金目当てに活動(冒険)をすることは罪深いことだとされていた
- フッガーは2重の倫理を持っていた
- 自分が支配するローカルな地域(日常)では伝統的宗教観→営利活動は汚らわしいことである
- 営利を得る冒険先(仕事先)では脱伝統的に振舞った
- 脱伝統的な振るまいはあくまで例外に過ぎない
- このような2重の倫理を持っている人間が、資本主義の勃興を支えることはできないのではないか?
- →フッガーは冒険商人であるが、営利を得ることに対してやましい感情があった
- 一方でフランクリンは一貫して営利を肯定
- 時は金なり……お金は惜しむべきものだ→無駄なく働く→プラスアルファの労働成果
- 信用は金……人が得た利益はその人の道徳的完成度を測る尺度となる
- フッガーの時代は営利を追究する人間は後ろ指を指されるような存在であった
- フランクリンは欲望に対して否定的ではない
- 金は金を生む……信用ある人がさらに信用を生む(慈善事業など)
- 資本主義の増殖システムに繋がっている
プロテスタントカルバン派の特色
- 営利活動の肯定
- 勤勉な労働の肯定、推奨
- 伝統的なキリスト教においては自明ではなかった……営利の追及は罪に近いものであった
- 労働は富につながる……ポジティブに捉えられなかった
- 原始的なキリスト教は曖昧な概念で構成されていて、多くの解釈(発展)可能性があった
- ローマ帝国の没落を横目に見ていた……「終末は近い」
- 宗教心が重大な関心事であり、労働は視野の外であった→労働をどう評価するのかという議論がなかった
- 中世のカソリックの時代になって、富を追求する労働は否定的に捉えられた
- プロテスタントのルター派において、初めて職業は神から与えられた使命である、という見解が登場する
- 勤勉な労働の肯定、推奨
プロテスタント的労働概念
- 禁欲的カルヴァニズム
- ルター派とも又違う
キリスト教のモデルチェンジ
- これまでキリスト教は何度となくその概念を変化させてきた
- そうしたキリスト教の変化と技術革新、エンクロージャなどといったものがうまく呼応した
- 社会全体を覆う大きな変革のうねりになった
原始キリスト教
- 多様な可能性に開かれていた
- 隣人愛
- 伝統的な宗教は民族宗教的→異教徒に対しては排斥的
- 終末は近い
- 問題は現世のことではなく、天国に行けるかどうかということ
- 労働に関しては不問であった
中世カソリック
- ヒエラルキーの形成
- 法王中心
- 儀礼化
- 法王とは唯一正しい教義の解釈をするもの
- 多様な可能性は宗教の組織化を妨げる→唯一絶対の解釈をする存在の必要性
- なぜ法王は正しいのか→法王はもっとも神に近い存在だから
- こうした構造は安定だが、同時に権力腐敗の危険性もはらんでいた
- 組織に所属していること=安心感→自分は救われているという確信
宗教改革の端緒
ルター
- 従来のカソリックの硬直化を批判
- 原点回帰を主張…古代へ帰れ
- 信仰だけが重要である
- 組織を守ることは重要ではなく、ひとりひとりの信仰のみが重要だ
- すべての人間は神の前で平等である……神に対して遠い人間近い人間を決めるカソリックへの批判
- 信徒には神から与えられた「仕事」がある
- 組織によって間接的に与えられた仕事ではない
- これらの仕事は「平等」である
- 教義の中で初めて職業に積極的意義が与えられる
- しかしこれは近代化を成し遂げる上ではまだ不徹底→足りない要素がある
ドイツ農民戦争
- ルターの考え方に共鳴
- しかしルター本人はこれに否定的
- 農民戦争は地上での出来事に過ぎない
- 地上のこと(搾取、戦争)はどうでもいいこと
- 祈ることが重要であり、職業を教会をひっくり返してまで重視するものではない
- 信仰を続けることによって神に近づくことができる→瞑想していれば良い
- ルターの思想は現世を変えていくような力にはならなかった
カルヴァン
- 神の絶対化
- 人間と神の間には絶対的な壁がある
- 神の国の栄光 age
- 人間界は罪にまみれている sage
- 人間がいくら努力しても神には届かない
- 人間と神の間には絶対的な壁がある
予定説
- 予め神によって救われる人間は定められている
- なら人は現世でどうすれば良いのか→信じ、働け
- 堕落した地上において、神の道具となって労働せよ
- 信仰とはすなわち労働である
- カルヴァン派の教義がもたらす巨大な不安→自分は神に選ばれ神の道具としての仕事を与えられているはずだ→禁欲的労働
- 「世俗内禁欲」への発展
- 禁欲とはなにもしないということではなくて、あることのために他の欲求を自らの意志で制限するということである
予定説に影響を受けた個人の信仰生活
- 予定説→強い不安→神の道具としての労働→自分は救済される人間であるはず、という自己肯定
- 世俗内禁欲な生活スタイルへ
- 労働の能動性向上、勤勉な性格
- きちんと仕事をする→社会的信用
- e.g. 資本主義勃興期のアメリカではその人が属する教派によって、社会的信用をある程度測っていた
- 信用が信用を生むループ→成功、富を生み出す
- 成功、富は信仰の証
- お金がほしいから労働するのではない
- 成功、富は信仰の証
大塚によるプロテスタンティズムの倫理への解釈
- プロテスタンティズムの倫理と資本主義の歯車がうまく咬み合って回っていった
- プロテスタント的な隣人愛そのものである
- 一方で近代化の進行と共にプロテスタンティズムの倫理なしで資本主義のシステムが回り出すようになる
- 喪失のプロセス
- 信仰を動機とするのではなく、富を目指すことが動機となる
資本主義の成立期とその後のプロテスタンティズムの倫理の立ち位置
- 成立期においては、宗教的倫理から資本主義的システムが生まれてきた
- その後資本主義はプロテスタンティズムの倫理を必要としなくなっていった
鉄の檻
- ある種の歴史の終わり
プロ倫末尾と漱石の草枕の類似性
- 同じ時代の、かつ後発的に近代化が進んだ国の知識人
世界宗教の比較
五行説
- 木火土金水の循環
輪廻転生
- 天・人・畜生・餓鬼・地獄・阿修羅
ヨーロッパ
- ヘブライズム……世界の循環という考え方はなかった
- ヘレニズム
- デモクリトス……原子論
- ヘラクレイトス……万物流転
- 循環的世界観が古代の共通認識→多様な発展
中国 儒教と道教
階層と担い手
- 儒教……支配階級に浸透した
- 道教……庶民、被支配層に浸透
- カルヴァン主義ではカルヴァンの考え方が一般信徒=市民と共有された
- 一方中国では階層によって考え方が違う
儒教と道教の比較
儒教
- 民は教えるべからず由らしむべし
- 民はいくら教育しても完全には教育できない 指導者が導かないといけない
- 作為尊
- 現世主義→支配者を誰にするのかというある種の「政治学」
- 学問性を重視
- 学びて時にこれを習う 愉しからずや
- 学ぶという行為は自らを磨き模範的な人間にする技術
- 模範的な人間=君子
- 修身斉家治国平天下
- 学問をすることは究極的には世界を支配することにつながる
- →政治学的
- キリスト教においては現世における政治を重視しない
- 学びて時にこれを習う 愉しからずや
- 学問性を重視
- 死を語らない
- 鬼神を遠ざく
- 儒教の理想とは……立派な君子になること
- 君子は器ならず
- 道具を使う者=君子
- 君子は道具ではない
- 対してカルヴァン主義では、人間は神の道具である、と考える
道教
- 王朝から遠く離れた民の生活=理想
- 無為自然
- 現世利益の肯定→呪術
近代以前の中国の繁栄
- 現世主義を反映した物
- 古くから貨幣経済が発達
- 近代資本主義に適当じゃないのか……?
- 妙な言い方をすれば、なぜ中国は次のステップに進めなかったのか?
- 近代化の行き詰まり……中国文明の再評価へ
大塚本を踏まえたまとめ
- 人間類型論のさらなる発展へ
- 細分化と普遍化→学派への発展
- 60年代から70年代は日本第2の近代化の時代
- 西欧の市民社会が理想化←大塚が価値的にコミット
- →近代主義的
- 一方山之内本はヴェーバーの近代批判のモチーフに着目した
山ノ内本の特徴
- ニーチェ的モチーフを中心
- キリスト教に対して批判的精神を持っていたニーチェ
- ヴェーバーの家族史
- プロ倫の再解釈
- 文学作品的解釈→行き詰まり→打開
- ヴェーバーの古代史論への注目
ニーチェとは何者か
- 19世紀末の哲学者
- キリスト教・宗教批判
悲劇の誕生
- アポロンvsデュオニソス
- 秩序と混沌のせめぎ合い
- ヘレニズム的世界観
道徳の系譜
- ユダヤ・キリスト教的(ヘブライズム)世界観
- ユダヤ・キリスト教は奴隷の宗教
- 現実世界では負け組→あの世では勝ち組になれるぜ
- この世の勝者に対して、「お前らはあの世では地獄行きだ」と一種薄暗い感情
- 奴隷たちがモーセの導きによって脱出する
- →ルサンチマン
- 奴隷的感情の克服
ツァラトゥストラ
- 永遠回帰
- 超人
=== デュオニソスと「職業としての政治」との関連性 ==
- 秩序の側から支配する存在とそれに対する混沌
道徳の系譜とプロ倫の関連性
- 奴隷の宗教→プロテスタンティズム的
回帰する時間の社会学とは
- ニーチェを考える上でのキーワードである「永遠回帰」
- 道徳の系譜以降のニーチェの思想とヴェーバーの古代史論の関連性
神なき時代の社会学
社会科学の2つのアプローチ
- 構造論的アプローチ
- 行為論的アプローチ=ヴェーバー
補論
- アダム・スミス:神の見えざる手によって市場は適切な方向へ動く
- 誰にとって見えないのか……?→市場に関与する当事者にとって見えない=構造論的
- 行為の意図せざる結果
- 行為の意図=プロテスタントの倫理(隣人愛的)
- 意図せざる結果=非隣人愛的
- ヴェーバーは行為論的アプローチだったが構造論的なアプローチも念頭にはあった
プロ倫の性格
- 論争の書=読みづらさがある
- 真の主題を見通しづらくなっている
プロ倫への再訪
プロテスタンティズムの担い手
- 中間層並びに平の信徒
教説のポイント
- 世俗化 ではない
- 宗教的濃密化←神と人間の断絶
- ある種の現世否定
- 世俗的職業の重要性
- ルター派……神の容器→職業へのフォーカスは弱い
- カルヴァン派……神の道具→職業へのフォーカスが強い
- これらの教説は資本主義から見れば逆説的
予定説への解釈
ミルトン
- そういう神を私は尊敬できまい
カルヴァニズムにおける隣人愛の観念
- 非人間的・非人格的
- 目に見えない、誰を救うのかもわからない神を信じひたすら労働する
- 自明な対象に対して何かをしようという倫理ではない
- 「君を助ける」観念はない
- 非人格的な「誰か」を愛する
反権威主義
- 唯一権威を持つのは神だけ
- 神以外に権威はない
- 中世から続く封建社会においては、主人への忠誠が重要視される
- 中世〜前近代を否定する革命性を持つ
感覚文化の拒否
- 無感覚的に職業労働に邁進する
- 人格的封建社会の否定
- →規格化画一化された労働
- →功利主義的社会組織にフィット
- 隣人愛という意図から功利主義的な社会思想という結果が生まれた
- カルヴァニストが労働における倫理の規範となる
どこまでいっても救いの確信は得られない
- 不安→さらなる労働
- 絶え間ない自己管理
- 組織による管理を一人一人が内面化して勝手にやってくれる
- →組織の手間は省かれる……効率的管理
- 「自発的服従」
- ここまで来れば思想はレールのようにカルヴァニズムの支えなしに勝手に動き出す
営利機械としての人間
- 神の道具という理想
- 組織の道具という現実
改めて大塚と山之内の比較
大塚
- 2つの中心
- 宗教・倫理的中心→資本主義的中心(富の蓄積)
- 疑問
- 日本の近代社会を支えた倫理とは?
- 近代化の限界(e.g. 労働なき資本主義)をどう考えるのか→倫理の立て直しをすれば良い
山之内
- プロテスタントの中核にある倫理……非人間的・画一化への傾向を持つ・絶えざる自己管理
- 組織の道具として服従させるメカニズムにほかならない
- プロテスタントの倫理は限界のある近代化につながる←毒に過ぎない
近代社会に対する価値観の相違
- 大塚……近代社会に対する理想、目指すべき目標、ある意味無批判に受け入れている
- ヴェーバーは大塚ほど近代社会に対して理想化をしていなかったと思われる
- 山之内……ヴェーバーの視点の一つである近代社会への負の側面、キリスト教への批判的態度にフォーカス
- キリスト教への批判的態度……ニーチェの思想とのつながり
発展史観から循環史観へ
ヴェーバーの研究歴
- 農業研究
- 政策論
- 社会学という学問
- 整備→方法論
- この時期にプロ倫を執筆
- 新しい学問を生み出すという苦しみ→精神の病
- 比較宗教社会学の開花
ヴェーバーは行き詰まりをどう克服したのか
- 古代農業史の再発見
- 発展史観から別の歴史観への移行
- ヴェーバーの父母との距離感は、そのままプロ倫に於ける政治経済・宗教に対するヴェーバーの立ち位置に現れている
- 個人的な行き詰まりが著作に影響している
どうやって行き詰まりを乗り越えたのか
- 療養生活→イタリア旅行
- イタリア→ローマ……ヨーロッパのふるさと
- 北方世界であるドイツとは全く違う南方的世界を見ることとなる
北方世界と南方世界の違い
- 北方世界ではプロテスタントが普及
- 勤勉かつ厳しい職業倫理の世界
- ある種現世否定的
- 南方世界では現世主義的
- 生きていることそのものに価値を覚える
ニーチェの再発見
- ユダヤ・キリスト教……ルサンチマンの宗教
- 奴隷の宗教である
- デュオニソス……混沌の神
- デュオニソスの系譜→現世肯定的、現世のあらゆるものを肯定しようとする態度
- デュオニソス的混沌…ある種恐ろしい物
- すべて運命であるとしてあるがまま受け入れる
- 闘争はするが、勝敗は問わない
- 闘争に価値がある
- 闘争のゴールはひとつでない……実質的に終わりはない→絶えざる闘争
ニーチェの闘争の思想
- ナチスに利用された
古代史再発見
- キリスト教……最後の審判という「ひとつのゴール」がある
- 進歩史観……やはり1つのゴールが存在する
- 一種の近代化論
- 一方でヴェーバーはそうした歴史観とは別の歴史観を持つようになった←ニーチェの影響
デルフォイの神託
- 東方からペルシャ帝国が攻めてきた
- 古代ギリシャではその時神殿の占いでどう対処するかを決定した
- デルフォイ神殿で行われた
- 占いでは「降伏すべき」となった
- いっぽうポリスの市民は「断固戦うべき」
- 結果開戦→ペルシャを撃退
なぜ戦おうとしたのか
- ペルシャ……専制的
- ギリシャ……民主的
- これまでの解釈では、専制政治に対して民主政治が勝利したのだとされた
- 一方でオリエント地域に対する勝利とも解釈された
- しかし真の対立は違うのだという新しい解釈
- 祭祀階級と市民階級の対立
アポロンとデュオニソスの価値観を再考する
- アポロン的価値……秩序的
- 価値への服従
- 他の価値の抑圧
- デュオニソス的価値……混沌的
- 価値は自らが創造する
- 絶えざる闘争・葛藤
デルフォイの神託 補論
- 民主主義は専制主義を見下す風潮がある
- 西側は東側に対して貶めるような傾向がやはりある
- オリエンタリズムと呼ぶ
- 近現代においては、民主主義が最終的に勝利したと考えられてきた→一種の進歩史観
今まで注目されてこなかった対立軸
- 西側の祭祀階級と戦士階級の対立
- 実はこれは普遍的対立
- 進歩といった価値観とは無関係である
古代史再発見
オイコス
- 家政・イエ経済
- イエが一種自立した経済体系を築いている
- ある家が小作人や奴隷などを支配する * 彼らを組織し、作業させることで経済を成立させる
- 複数のオイコスが併存→オイコスの代表者が出てきて大域的地域のことを決定する
- 古代ギリシャの民主制
- 生きることそのものではなく、より良く生きるための方法を語り合う
- しかし背後には奴隷制が前提としてあった
- 奴隷制を前提としたからこそこの方法が成立した
- しかし奴隷制が足かせとなってこの方法は行き詰まった
- 労働の価値は低く見られていた
- 労働をする人間も低い価値の人間とみられていた
- 人間の価値を追求する動きが生まれない
- キリスト教の登場がこの流れを打開した
- 人間の神の下の平等を説いた
- 人間解放のきっかけ
- 人間と労働の価値は向上する
- 近代における発展へのつながり
- 資本主義社会がもたらした貧富の差の拡大
- 人間の価値の原点に戻ろうとする動きの発生→さらなる人間価値の向上
オイコス的歴史観の特徴
- ギリシャ・ローマ→西欧近代へ
- 欧州中心的
- 発展史観的……人間性の進歩の歴史
- キリスト教に対して肯定的な見解
ヴェーバーとオイコス的歴史観
- 古代農業史研究およびプロ倫はこの価値観に則って書かれた
ライトゥルギー
- 対国家奉仕義務のための強制組織
- オリエント地方の巨大な帝国=ライトゥルギー国家
- ギリシャ・ローマは周辺に過ぎない
- 中心に抵抗を試みたり、半自立性を保ったり
- 余白的自由を謳歌した人もそれは奴隷制を前提としたもの
- 半ライトゥルギー的といって差し支えない
- ギリシャ・ローマは周辺に過ぎない
- ライトゥルギーの背後に存在するもの……宗教=祭祀階級
- 普遍的な対立としての祭祀階級と戦士階級の対立
- 古代においては戦士の敗北→宗教の組織化
- オリエントの諸帝国
- 後期ローマ
- 中世キリスト教社会
- 古代においては戦士の敗北→宗教の組織化
- 普遍的な対立としての祭祀階級と戦士階級の対立
近代資本制におけるライトゥルギー
- 万民の労働者化……ひとつの価値観の勝利=祭祀階級の勝利
- 巨大な官僚組織の形成