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この発言について,細部の言い方については明らかに問題があるし,してしまっていたならば不快感を感じさせたことについてこの場をかりて謝罪をする. |
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といった意味で言ったのだし,ここにおける教養(学部)とは,<<BR>> | といった意味であった. また,ここにおける教養(学部)とは,<<BR>> |
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何事も教養のある理工系の人間ではないか,という気がしている. | 何事も教養のある理工系の人間ではないか,というふうに思っている.(''考えている''と述べないのは,明確な強い根拠がある訳ではないからだ.あくまで直感である.) |
設計思想とその階層
設計思想
設計思想が感じられず,許せないものというのは多い.
設計思想がないのではなく,美しく簡潔でないために理解していないだけかもしれない.しかしなお,許せない.
電子機器もそう.都市もそう.制度もそう.
電子機器と都市については,特に強く思う.全体としての設計思想というものが感じられないのだ.
しかしそういったものでも,細部の設計だけはしっかりしていることがある.
電気製品でいえば,全体としての設計思想には欠けるが細部の作り込みだけは良いものであったり,
都市であれば,全く整っておらず,思想もへったくれもない都市設計—むしろ設計が無いのだろうか—の街でも,
それをぎりぎりの線で維持する道路や電車網などが整備され,最低限の働きはできている訳である.
これがどうしても許せない.
全体としての設計・思想なきエンジニアリングというものは悪である.
こと都市に関していえば,このエンジニアリングは,将来にわたり不幸を約束し存続させ続ける悪だとも思う.
美しくない設計というものは,思考を通じ適切に改められていくべきだし,
こと都市のようなものであれば,その設計の問題が深刻であれば,理想論としてはそれこそ一度滅ぼしてでも全て再設計すべきである.
何事にも設計思想というものはあるべきで,エンジニアリングというものはそれに従って存在すべきである.
なぜこういった話をしたか
なぜこう言うことを言い出したかといえば,過去に
「工学系の人間がいうのもなんだが,工学は工学である.教養のほうがよいものである.」
みたいなことを言ってしまってたかもしれないからである.
この発言について,細部の言い方については明らかに問題があるし,してしまっていたならば不快感を感じさせたことについてこの場をかりて謝罪をする.
このとき言いたかったことは,
「全体の設計思想なしのエンジニアリングは好ましくないし,
全体の設計思想を無視したり,調和を壊すようなエンジニアリングは悪であるし,そういったことをやる人間を許さない」
といった意味であった.
また,ここにおける教養(学部)とは,
「(広い知識を生かし全体を俯瞰したうえで)良い設計や思想などを提示できる人間を育てる機関/およびそこで育った人間」という意味であった.
重要なことを書き加えておくと,実際のものの設計とその思想をつくることにおいて,最も優秀な解を出すのは
何事も教養のある理工系の人間ではないか,というふうに思っている.(考えていると述べないのは,明確な強い根拠がある訳ではないからだ.あくまで直感である.)
こういったとき,(謙遜ではなく,深刻な問題として)私には教養が大きくかけていると思うのだが,
それでもなお,私はそういった存在になることを目指し続けていたいと思う.ひとえに,(なれなくとも)完璧になりたいのだ.
設計思想の階層
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